ももんじ屋
ももんじ屋とは・・・
ももんじ屋(もゝんじ屋・ももんじや・もゝんじや・Momonjiya)は、
江戸時代に動物の肉(獣肉)を客に提供していた店のこと。獣肉の料理店、獣肉割烹の店のこと。語源は諸説あるが、様々な獣を意味する「百獣(ももじゅう)」が「ももんじ」に転訛したものという。ももんじい屋とも。
江戸周辺(主に武州・甲州(現在の埼玉、山梨、東京の西部エリア))などで捕獲された(猟師が持ち込んだ)イノシシ、シカなどの動物のほか、犬、キツネ、タヌキ、オオカミ、サル、ウサギ、牛、豚、馬、鶏、キジ、鴨などの肉を販売したり、調理して提供していた。イノシシ(猪肉)は「山鯨・山クジラ)」、ウマ(馬肉)は「桜」、シカ(鹿肉)は「紅葉(もみじ)」の符丁で呼ばれていた。江戸時代には「ももんじ屋」として、四谷、麹町、両国などに知られた店があり、「山くじら」といった招牌(看板)を立てて客を呼んでいた。(現在も「しし鍋」の老舗として営業している店もある。)
日本では仏教伝来以降、肉食は表向きには忌避される傾向にあり、天武天皇により「牛馬猿犬鶏」の五畜の食用を禁じる「食肉禁止令(675年)」が出されたこともあって、長らく肉食は公には禁止されていた(「和名類聚抄」「今昔物語」「尺素往来」等、様々な文献に肉食や関連する記述が残っており、武士や庶民の間では肉食は行われていたともいわれる)。
江戸時代になっても、五代将軍綱吉が肉食を禁じることにつながる令(生類憐れみの令)を出すなど、公には認められておらず、「動物の肉を食べる」行為は一部を除き、建前上は「タブー」とされていた。その為、江戸市中などでは、動物の肉を食べることは「薬喰い(薬食い・薬ぐい・薬喰ひ・くすりぐい・クスリグイ)」として、精をつけるためや病気を治す為(滋養強壮・養生・健康回復)に、薬の代わりに食べる、というのが大義名分とされていた。(薬食い・薬喰いは俳句の冬の季語にもなっている。)または一部の「通」が好む食べ物とされていた。
実際には、出島に出入りしていたオランダ人や中国人から肉を用いた料理が伝わったという記録(長崎では豚や鶏を使った料理が多かったという)があったり、その美味しさから「肉食」を好む人がいたという話もあり、特に里山ではイノシシやシカ、鳥などは江戸市中などよりはもう少し一般的に食べられていたという。彦根藩では藩主も牛肉を好んでいたといわれ、反本丸(へいほんがん)と呼ばれる牛肉の味噌漬けや粕漬け、干したもの(干し肉)などが「薬」「薬用」として贈り物にもなっていた。
長らく(表向きには)禁忌とされてきた肉食が一般に広まったのは明治時代に入ってから。牛鍋(すき焼きの元祖)がブームとなり、一般の人も口にするようになった。1877年(明治10年)には東京に牛鍋を提供する店が500軒以上あったという記録もある。